當島八幡神社(とうしまはちまんじんじゃ)

注連柱と参道階段

地 図

参道階段を上がると、参道の両側に石灯籠

多理比理神社社号標

随神門からの拝殿

随神様の後ろには狛犬が鎮座

左の狛犬は顔が壊れているが、守りは力強く継続中

随神門から後ろを振り向くと、目前に大鳥居

大鳥居横の手水舎

大鳥居

二個目の参道階段
上には大鳥居と随神門

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参道途中の石灯籠

平坦な参道を進むと次の参道階段
上には大鳥居がチラリ

史跡・名所

神輿庫

拝殿内

拝殿入口の扁額

随神門

相殿に祀られる多理比理神で、多比理岐志麻流美神のことだという。大国主神の五世孫。多理比理神社は、建武年間(1334年-1336年)まで、字小丸神山に鎮座していた。

社殿の大破にともない、延元元年、当社に合祀されたという。他の説では、当社こそが多理比理神社であるとも、あるいは、多理比理神社の鎮座地に、当社が遷座したとも。

境内入口の広場に、「式内多理比理神社」と刻まれた社号標がある。明治27年(1894年)9月に氏子中が建立したもの。

   神社と古事記の「當島八幡神社」より抜粋

芦田川に架かる山守橋の南側土手下(土手上は県道396号線)を、府中方面に200m程で、左に當島八幡神社の石燈籠が見える

拝殿前からの随神門

拝殿前の狛犬

随神様

参道入り口

左には當島八幡神社の由緒書き

左石燈籠の後ろに「多理比理神社社号標」

神社全景

参道前

本 殿

由 緒

鎮座地
  広島県福山市駅家町上山守1183番地
祭神
  誉田別神(ほんだわけのかみ)        (応神天皇)
  足仲彦神(たらしなかつひこのかみ)    (仲哀天皇)
  息長足姫神(おきながたらしひめのかみ) (神功皇后)
相殿神
  多理比理神(たりひりのかみ)        (多理比理神社)

 当神社は 大同二年(八O七年)豊後の固(大分県)宇佐八幡宮の御分霊を勧請して祀られたと伝えられております
 その後 延元元年(一三三六年)延喜式の式内社に列記されております多理比理神社を合祀し現在地に社殿を再建して以後 當島八幡神社として祭祀執り行われております
 創始は古く 品治郡東南部の十三力村の上山守村・下山守村・今岡村・大橋村・向永谷村・坊寺村・江良村・倉光村・万能倉村・中島村・近田村・戸手村・新山村
 総氏神として崇拝されて持に昔は秋祭にこの十三力村より産生神として多くの人々がお参りされておりました
 明治五年十一月 (一八七二年)村社に定められる
 明治二十一年十月(一八八八年)郷社に昇格される

   :境内の由緒書きより