本庄八幡神社

史跡・名所

 
  所在地  広島県福山市北本庄2丁目7−21
広島県神社誌には京都石清水八幡宮を社ノ丁に勧請していたが、天正8年(1580)堂坂山に社殿を造営し遷座した・・・と記されているが、誰がいつ勧請し、そして遷座させたのかは記載がない。村上正名氏は「城下町福山」の中で木之庄の本庄と題して、南北朝時代南朝年号正平8年(1353)に足利直冬が周防国(山口県)阿弥陀寺の社領荘園に木之庄を寄進している。ついで文明5年(1473)北野神社(北野天満宮)の社領に備後では唯一吉津庄が記載されている。戦国時代になってからはこの地を山手杉原氏が押領し、本庄八幡神社は木之庄北部に山城を構えた九日ヶ嶺(くにちがたお)城主杉原陸奥守が創建したと紹介している。足利直冬は当時中国探題と称し鞆大可島城を居城としていた。九日ヶ嶺城主杉原陸奥守だが、山手銀山城杉原氏の家系図には記載されていない。「杉原盛重」を書かれた立石定夫氏もその中で九日ヶ嶺城に杉原陸奥守がいたというが時代が明らかではない。また西備名区には本庄八幡宮の後ろに小祠があり先祖の平貞盛の霊を祀った「貞盛霊社」と称した。とあるので杉原一族により勧請されたものなのであろうと記されている。もう一つの疑問は祀られている祭神だ。石清水八幡宮から勧請したのであれば宇佐の八幡神であるから応神天皇、神功皇后、そして比売大神(ひめのおおかみ)の三柱であるはずで比売大神は宗像三女神とされている。ここ本庄八幡神社の祭神は宗像三女神のみが神社誌に記載されている。応神天皇と神功皇后はどうしたのだろうか。山手杉原氏の創祀は間違いないと思うが伝承はかなりあやふやになっているようだ。
    mixi 備後の歴史を歩くコミュの本庄八幡神社より
 市道からの参道入口

近くには
福山東警察署本庄交番
が有ります
 長い参道階段

手すりが無いので、体力に自信のない方は、境内まで車で行ける裏道が有りました(地元の方に訪ねて下さい)
 長い階段を上がると
石灯籠と大鳥居
 

大鳥居
 大鳥居横の石碑
 大鳥居からの参道

車でここまで上がれます
 注連柱と階段の奥に拝殿
 拝殿前には階段を挟んで狛犬が鎮座
 狛 犬
 拝殿前
参道の両側に手水鉢
 拝 殿
 拝殿内
 拝殿内には沢山の絵馬がありました
 拝殿内からの参道
 本 殿
 本殿横の境内社
 神社全景
 境内からの福山市街地
 地 図