柞磨八幡神社(たるまはちまんじんじゃ)

史跡・名所

  所在地  広島県福山市芦田町柞磨
この神社の旧称は「神田八幡宮」という。天長9年(832年)神田の地に創祀された。そして貞観2年(860)2月28日、備後国の正六位上だった神田神に一つ上の従五位下という神階が授けられた。次いで正暦3年992)社殿再建。弘安5年(1282)には水害で社殿流失し、正慶(北朝元号)元年(1332)社殿を再建。天文3年(1534)神辺城主山名理興が多羅磨氏との戦いで社殿焼失し多羅磨氏は自害した。永禄9年(1566)に大谷五代城主有地美作守が社殿を再建し、文禄元年(1592)現在地江原山に仮殿を造営、正保元年(1644)神殿建立し正遷座祭が行われたとある。ここまで来て神田神社との繋がりが理解できた。恐らく神田神社は元宮なのだ。そして、正保元年に現在の柞磨八幡神社が建つ江原山に遷座(せんざ、引っ越し)したというわけだ。神田の地には創祀以来文禄元年までは社殿があったために地元の人達は遷座後も神田神を祀ったのだろう。それは貞観2年に従五位下を授かったのはこの神田の地だったからだ。三間社入母屋造の本殿は正保元年(1644)に再建されたものが今なお建っている。縁は三方を廻り、奥は脇障子で止まる。妻部分は虹梁大瓶束が棟を支える。向拝柱の頭貫は水引虹梁。中備はカエル股。軒は連三斗が支え彫刻手挟を備える。本殿向拝が幣殿の屋根に接続され、大正13年に建てられた入母屋造の拝殿へ繋がっている。本殿の裏手には大国主命を祀った十二神社もある。境外社として土壁地区にタカオカミを祀った龍王社を持つ。
    mixi  備後の歴史を歩くコミュの柞磨八幡神社 より
 旧 府中ー松永線沿いからの裏参道入口

 裏参道から数十メートル進むと参道入口の階段
 参道階段を上がると、上の大鳥居が目に入ります
 大鳥居
 大鳥居から後ろを振り向くと
柞磨地区が一望出来ます
 大鳥居からの参道階段
 参道階段を上がると、緩やかな段

奥には神楽殿が見えます
 参道階段上からの大鳥居
 神楽殿
 神楽殿からの拝殿
 手水鉢
 拝殿前の狛犬
 拝殿入口
 拝殿内
 拝殿前からの神楽殿
 拝殿と本殿
 本 殿
 本殿後ろからの神社全景
 

裏参道入口にはチェーンが掛けられていたが、車で参拝する時には自由に外せる様です
 裏参道




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