引野天神社(ひきのてんじんしゃ)

史跡・名所

  所在地 広島県福山市引野町北3-24-13
祭神は少彦名命。相殿には大国主命、タカオカミ、大戸姫神、住吉三神、オオヤマツミ、大歳神、宇賀魂神、比売神、火之迦具土神、市寸島姫神、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、竹内宿祢、天照大神・・・そうそうたる神々のオンパレードだ。これを機にこれら神々を簡単に紹介しようと思う。

日本神話の冒頭で地球が誕生する時、天御中主尊 (あめのみなかぬしのみこと) 高皇産霊尊 (たかみむすひのみこと)神皇産霊尊 (かみむすひのみこと) らの天津神が現れる。この後にイザナギ、イザナミという男女の神が生まれ、天照大神、スサノオ、ツキヨミらを産む。その天津神を祖に持つとされる少彦名命(すくなひこな)は出雲にやってきて国津神(土着神)の大国主命と二人で出雲の国を作り上げていった。人々に稲作を教え病気の治療法もよく知っていたという。国造りが終わる頃亡くなり大国主命は嘆き悲しんだとされる。高淤加美神(高龗神、たかおかみ)も神話に登場する。イザナミが火の神、火之迦具土神(カグツチ)を産んで亡くなったときに誕生した日本を代表する水を操れる水神だ。大歳神と宇賀魂神(うがのみたま)は兄妹でスサノオの子とされ、特に宇賀魂神は全国の稲荷神社の祭神として有名だ。市寸島姫神は宗像三女神の一人で、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、竹内宿祢と併せて八幡神である。住吉三神は海神で、オオヤマツミはサクヤヒメの父で日本国総鎮守とされ、天照大神は説明するまでもなく皇祖神で、大戸姫神は資料に出てこない。比売神(ひめのかみ)は特定の神を指すのではなく、主祭神の奥さんを一緒に祀るときにこの言葉がよく使われる。ここではスクナヒコナの奥さんを指すのか特定できない。普通、天神サンといえば菅原道真を祀った神社をこう呼ぶが、ここは違うみたいだ

天神社の創建であるが元慶三年(879年)備後守藤原諸房が少彦名命を祀ったとある。藤原諸房を六国史で検索すると「三代実録」巻四貞観二年(八六〇)十二月廿八日癸酉。授正六位上藤原朝臣諸房從五位下。 慶三年(八七九)正月七日 備後守藤原朝臣諸房従五位上と記されている。建立した年の正月に従五位上へ官位が上がっているのが確認できた。天津神、国津神、出雲神、住吉、オオヤマツミ、はたまた八幡神まで祀られたのは、近所にあった神社が、長い歴史の中でここに合祀されたためかも知れない・・・。
   mixi 備後の歴史を歩くコミュの天神社より

 

市道沿いに天神社の駐車場

市道を左折すると参道入口
 市道からの参道入口
 参道入口

石灯籠の宝珠が唐獅子
 宝 珠
 

大鳥居
 手水舎
 大鳥居からの参道階段
 狛 犬
 参道中段からの参道階段

上には随神門
 中段の左奥には御輿庫
 随神門
 随神門からの参道下り
 随神門からの参道上り
 境内入口

正面は拝殿
 境内入口横の手水鉢
 拝 殿
 拝殿入口
 拝殿内
 本 殿
 天神社全景
 境内からの随神門




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