木之庄八幡神社(きのしょうはちまんじんじゃ)

史跡・名所

  所在地  広島県福山市木之庄町3-13-19
祭神は応神天皇、神功皇后、宗像三女神という典型的な八幡神が祀ってある。広島県神社誌には創祀は南朝年号で弘和年中(1381~84)という。南朝方の武将が勧請してきたのだろうか。神社由緒書にはそれ以前、建長年間(1249~56)に越中守武政なる人物が木之庄の新涯を造成したときにその守護として西村武政山に建立したと記されている。永禄年中(1558~70)に所原肥後守が再興したが毛利元就により社地は没収されたとある。所原肥後守は、毛利配下神辺城主杉原盛重の部下で、九州に出陣中の盛重の留守を狙って神辺城を襲撃し占領した備中後月郡吉井の藤井皓玄を、盛重勢力下の武将をかき集めて攻撃し神辺城を奪還に成功し藤井皓玄を自殺に追いやった武将として知られている。毛利配下の神社が毛利元就によって社地没収というのはいかなる理由があったのだろうか。盛重が建てた神社はその建築様式に一貫性が見受けられる。それは備後には見られない建築様式で、流造や入母屋造の前方一間分が壁板を張らず吹き放ちの外陣とする。これは毛利の支配地、安芸、芸備地方には多く見られ、毛利の建築基準といえる。それから言えばこの八幡神社は毛利の造りとはいえない。いま建つ社殿は明治25年に再建されたもので、三間社入母屋造で桟瓦葺き。妻飾りは虹梁大瓶束。特記すべきは大棟の中央と鬼瓦に水野氏の家紋「抱きオモダカ」が付けられている。この神社と福山歴代藩主水野氏の繋がりはなんだろうか。「抱きオモダカ」が使える神社は滅多にない。私が確認しているのは福山八幡宮、新市の吉備津神社、御幸町下岩成の深草神社ぐらいだ。
   mixi  備後の歴史を歩くコミュの木之庄八幡神社より

本殿の棟積みには左右から昇龍が向き合い、中央には「抱きオモダカ」の家紋。
 市道沿いの八幡橋が木之庄八幡神社の参道入口

この場所は少し分かり難い
目印は奥にある大鳥居
 参道入口の八幡橋

 奥には木之庄八幡神社の大鳥居

 車道を兼ねた参道なので、拝殿前まで車が上がります
 八幡橋を渡ると左に
皇太子殿下御成婚記念碑

記念碑の裏面には大正十三年と記してあるので昭和天皇の御成婚記念だと思う
 参道を跨いだ大鳥居

大鳥居を潜ると注連柱・狛犬・参道階段へと続く
 注連柱からの参道階段

狛犬の後ろに神社の由緒書が有りました
木之庄八幡神社の由緒
 珍しい狛犬

左は 後ろ足で立ち上がり
右は 球を抱え逆立ち
 参道階段
 
 正面奥は拝殿
 参道階段上がり口に
 手水鉢
 参道階段途中からの参道入口方向
 

拝 殿
 拝殿全景
 拝殿入口
 拝殿内
 沢山の絵馬
 拝殿から本殿への入口
 拝殿内からの参道
 本 殿
 神社全景
 裏山からの福山市街地


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