宝憧寺の住職さんにより御開帳、開扉法要が行われました

観音堂の玄関
玄関の前には地蔵や前代の堂主の墓

2019年(令和元年) 5月18日
八軒屋観音開扉法要

御開扉された観世音菩薩(御本尊)様

八軒屋集会所の左側に観音堂の玄関

 観音堂開祖の浄観さんについては、境内の墓石一基と位牌「当庵開基浄観禅定門」裏面に「弘化三年(一八四六年・幕末の頃)七月十一日、伝蔵父」があるだけです、もう一つ、「尼隆仁不生位」の位牌もあります。これは堂守をされていた尼僧のものと思われ、宝憧寺裏山の墓地にあったものを、平成十三年一月現在地に移設したものであり、、墓石に二代石井隆仁とあり、浄観さんの次の堂主で大正七年没と言われています。
 観音開扉法要については、昭和二十八年(一九五三年)にしたことが分かりました。記録はありませんが、私の記憶では、大きな竹籠を新聞紙で張りぼてにし、墨を塗り「平和の鐘」と銘をつけた山車を担いだことを思い出します。 
     参考資料 
      M田宗太氏著書 「八軒屋点描」

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 八軒屋の観音堂で、八軒屋の守り本尊として信仰されてきた観音様の三十三年に一度の御開帳、開扉法要が行われました。
又、ここは宝憧寺の西国三十三札所粉河寺を模した、弟三番札所として近在の参詣も多くあります。

観音堂について
明治二十二年(一八八九年)旧三月、観音堂開屏法要の買い物並びに手伝人名記帳によれば、「ソモソモ当庵観世音菩薩ト申奉ハ、人皇二十九代欽明天皇ノ御作トデ。往昔 当地正戸山ノ城主栗原左衛門ノ太夫重忠公ノ守本尊也、重忠公落居ノ後当村ニ安座ナサシメタマウヲ、霊験アラタニシテ、萬民報恩謝徳ノ為、今般開扉ヲ致シ、諸人ニ結縁アラシメテ、依ッテ各々近く御拝有リテ心徳ヲ得ラレヨ」とあります。
 欽明天皇御作とか、正戸山城主云々とかは眉唾もので真偽の程は分かりませんが、恐らく開基以来昭和二十八年(一九五三年)まで、三十三年毎の開扉法要はされていたようです。

法要中