消渇神社(しょうかつじんじゃ)
大鳥居
所在地 岡山県井原市高屋町3713 ・・・・・備後から外れたかも
消渇神社の由来
「子宝なき人、婦人諸病」に御利益があり、御神徳を受けた人が男根を象徴した焼物を供えるのがならわしとなっています。
天和3年(1683)頃から信仰が起こり、近年では中国地方はもとより、九州方面からも御利益を求めて多くの人が訪れます。大祭日は12月の第2日曜日となっており多くの人で賑わいます。
消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な消渇(婦人病)に悩まされ、遂に立つことができず、死に臨んで「私は今消渇で死ぬが、叶えられるなら霊神となって私と同じ様な種々な病に悩む婦人を守護しよう。どうかこの地に神と祀ってもらいたい。」と言い残したので、人々はこれを消渇様としてあがめ祀ったのがそもそもの始まりとされています。
井原観光協会 観光情報より
地 図
標識から車で10分弱位で神社の駐車場に到達
正面の建物が消渇神社
本殿前の祠に お供えされた物
近県岡山の山道を走っていたら、珍しい名前の神社の看板がありました
本殿内
網戸の外から写している為画像が霞んでいます
本殿と本殿前の祠
参道階段と本殿
駐車場に付近の案内板
本殿前からの大鳥居
参道からの境内入り口
山深い駐車場からの景色
消渇神社の標識が大きく表示されていたので行くことにしました